鬼は外 福は内の意味!なぜ鬼は豆が嫌いなの?

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節分と言えば、豆まきです。

鬼は外、福は内!! 威勢のよい掛け声とともに、豆をまきます。東京だと浅草寺の節分会(せつぶんえ)、池上本門寺の節分追儺式(ついなしき)、芝・増上寺の節分追儺式などが大変有名です。

中には人気力士や芸能人などに豆まきをお願いする寺社もありますね。節分の豆まきは、2月の風物詩になっています。

節分 豆まき

ところでこの豆まき、掛け声が『鬼は外、福は内』なのは、なぜなのでしょうか。またお寺によっては『福は内』しか言わなかったり、逆に『鬼は内、福は外』という寺社もあります。面白いですね。

今回は、『鬼は外、福は内』の意味や由来についてお伝えしたいと思います。知っていると、職場やご家庭で自慢できるかもしれません(^^)

『鬼は外 福は内』の意味

節分は、平安時代から行われていた『追儺(ついな)』という鬼祓いの行事がルーツと言われています。今でも池上本門寺などでは、節分の豆まきを『節分追儺式』と呼んでいますね。

ここで鬼とは、『陰(おん)』に由来し、目には見えない邪気や自然災害、病気などの厄災を象徴していました。よって『鬼は外 福は内』の意味は、厄災の象徴である鬼を家から追い出し、代わって福を呼び込むということです。

瑞渓周鳳というお坊さんの臥雲日件録という日記によると、既に1447年には『鬼外福内』と唱えられていたようです。これが『鬼は外 福は内』のルーツと言えるでしょう。

節分 豆まき

なぜ鬼は豆が嫌いなの?

もともとは鬼とは厄災の象徴だったのですが、いつの間にか、角のある恐ろしい形相の大男に擬人化されてしまいました。

今も昔も、日本人は擬人化が得意なようです(^^)

それはさておき。
宇多天皇の時代(平安時代の初期)、京都・鞍馬山に出た鬼を、炒り豆を投げつけて退治し厄災を逃れた、という故事が豆まきのルーツと言われています。

なぜ豆を投げつけたのかなあ。
食べようと思ってた炒り豆が手近にあったのかな?
それは素朴な疑問だね~(^^)

昔は、『穀物には生命力と退魔力がある』と思われていました。また、『まめ』が『魔目(まめ)』や『魔滅(まめ)』に通じていることから、鬼祓いには豆が使われました。

生の豆ではなくて炒り豆を使うのにも理由があります。節分で祓う鬼は厄災の象徴です。これを打ち祓った豆から芽が出ると、厄災が再び芽を出すとされて嫌われたのです。

また、生の大豆には毒があります。なのでその当時から、大豆と言えば炒り大豆のことだったのかもしれませんね。

注意 ワンポイント 038564なぜ炒り豆を投げるのか?
昔テレビで放送していた『まんが日本昔ばなし』で、鬼と豆の話がありました。

福という娘が鬼の嫁に貰われたのですが、福は心細くて、勝手に実家に帰ってきてしまいました。
鬼は怒って福を取り返しに実家に来たのですが、福の母親は「この豆が芽を出したら迎えに来なさい」と炒り豆を渡し、鬼を追い返しました。
1年後、芽が出ないことに怒った鬼は、実家に怒鳴り込んで行きました。しかし福の父親に「鬼は外!!」と豆を投げつけられ、「芽が出ていないから、返してもらえない」と哀しく山に帰っていった・・・そんな話がありました(細部は違ってるかもしれません)。

ということで、鬼に投げる豆は、しっかりと炒った豆じゃないといけません。炒り方が浅いと豆から芽が出て、鬼がやってくるかもしれませんから!
でも、お嫁さんに逃げられた鬼さんも、ちょっと可哀想ですね・・・

『鬼は内』もあり!

通常は『鬼は外 福は内』ですが、逆向きの『鬼は内(鬼も内)福は内』とする寺社・地域もあります。
例えば、奈良県天川村・天河神社では、『鬼は内 福は内』です。他にも京都・大原神社、埼玉県・鬼鎮神社、神奈川県・千蔵時など、多くの寺社で『鬼は内(鬼も内)』とされています。これらの寺社では、鬼が御祭神であったり、鬼を受け入れて改心させたりします。

また、鬼塚、九鬼、鬼頭などの名字の方も、『鬼は外』だと縁起が悪いですよね。気分も悪いです。なので、鬼の着く名字の家庭でも『鬼は内』とされると思います。

『鬼は内』どころか、鬼については何も言わず、成田山新勝寺のように『福は内』しか言わない寺社もあります。成田山新勝寺は御本尊の不動明王がめっちゃお強いので、わざわざ『鬼は外』などと言わなくても、鬼が逃げていくからだとか。強い!

追い払われた鬼はどこへ行く?

節分に日本各地で追い払われる鬼たちは、いったいどこへ行くのでしょうか。
寺社からも、家庭からも追い出され、行く場所がありません。

しかし世の中には心優しい人もいるのです。
群馬県藤岡市鬼石地区では、全国で追い出された鬼を歓迎します。なんと鬼恋節分祭という歓迎のお祭りまであります。

茨城県つくば市鬼ケ窪でも、鬼を歓迎しています。追い出された鬼たちが可哀想なので、「あっちはあっち、こっちはこっち」という掛け声で、受け入れてあげるのだそうです。
優しいなあ。

鬼といえども、優しくされると改心し、恩返しに何か福を授けてくれるのかもしれませんね。

節分 豆まき 梅の花

あとがき

節分の『鬼は外 福は内』について、その意味を紹介しました。鬼というのは、天災や病気などの厄災の象徴です。厄災を家から追い出し、代わりに福を家に呼び込むという意味を込めて、『鬼は外 福は内』と掛け声します。

節分の豆まきは、古くは平安時代に遡る鬼祓いの儀式がルーツです。もう1,300年以上もの歴史があることになります。

このように鬼は悪役・嫌われ者なのですが、捨てる神あれば拾う神あり、です。追い出された鬼を歓迎する地域もあります。日本人って優しいですね。鬼恋節分祭というお祭りまであるようですから、一度は見てみたいものです。

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